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校長からのメッセージ

ようこそ! 私どもは日本語、英語、プログラミングを3つの「言語」として学ぶトライリンガル教育をおこなう小学部・アフタースクールです。日本語で考え、英語で世界中の人々とコミュニケーションができ、プログラミングで未来の人工知能社会を生き抜く。この理念を学校のロゴマークにしました。

 知育だけでなく、積極的に身体を動かし(カポエイラ、ショウバレー)、音楽(リトミック、ウクレレ)や芸術に触れ、アウトドア体験をすることにより、頭と心と身体のバランスの取れた発達を促します。

 常に楽しく学び、何事もあきらめずに頑張る。そして家族や友達や生き物たちに優しく接する。そんな子どもたちを教師が一丸となって応援します。

竹内薫

自分にしかできない、未来の教育をつくりたいーー竹内薫

聞き手・文:只木良枝

「ほんものの生きる力」を目指すYES International。未来を生きる子どもたちにふさわしい学校をつくりたいという竹内薫の情熱が、いよいよ形になろうとしている。
2017年春の本格始動を目前に、学校づくりと教育への想いを聞いた。

教育は、未来のためにある

―サイエンス作家、あるいは翻訳家、情報番組のナビゲーターやコメンテーターのイメージが強い竹内さんですが、なぜ教育の世界に?

 

科学や技術の最新の情報を、わかりやすい言葉で伝えていくのが僕の仕事です。科学技術は社会問題とも密接にかかわっているので、つねに今という時代の最前線にいることになります。
そこに立って10年後20年後の世界がどうなっているかを考えてみたんです。いったいどんな人間が必要とされているのだろうか、そして、既存の教育システムで、そういう人材がちゃんと育つのかなと。すると、今の学校を全否定するわけではありませんが、未来のために必要な学校のあり方が見えてきたのです。
もうひとつの大きな理由は、プライベートなことです。学齢期を迎えた自分の子どもにどんな教育を受けさせたいか、親としては当然考えますよね。で、僕もいろいろ調べてみたのですが、どうも「ここで学ばせたい」と思える学校に、出会えなかったのです。
それならば、自分が理想だと思うような学校を作ってしまおう、と考えたわけです。

―教育や学校経営については専門外ですよね。既存の学校を改革するなどの方法もあったのでは?

 

まさに僕が「部外者」だからです。既存の教育システムの外にいる人間が取り組むところに、価値があると思ったのです。
日本の教育が何だかうまくいってないなぁ、と感じている人は多いのではないでしょうか。学力の低下、意欲の低下が心配されていますし、先生方は書類作成や雑用に忙殺されて、本来の仕事である「教えること」に集中できない。学校ではあいかわらずイジメがあって、その原因も、効果的な対策もまだ見えていません。
子どもは待ってくれませんから、学校教育のシステムは現に動いています。システムを動かしつつ、内部から問題点を把握して抜本的に変えていくというのは、なかなか困難でしょう。
だから、僕のような「外からの視点」が必要なのです。
ゼロからのスタートですから、まず理念づくりからはじめました。リニューアルではないので、そこに、先入観とか惰性とか、歴史や伝統の入る余地はないんです。今の教育に足りないこと、問題点を見つめながら、2016年の今に必要だと思う教育と学校像を、ひとつずつ考えてつくりあげています。

学校は「居場所」ではなかった

―竹内さんにとって理想の学校とは、どんなものでしょうか?

 

ひとことでは言えないので、まず僕の子ども時代の話をしましょう。
大学では2つの学部を卒業、その後大学院、留学、博士課程修了という経歴から、「勉強が好きな子」「勉強のプロ」などと言われることもあるのですが(笑)、実は、まったく優等生ではありませんでした。むしろ、学校という場所に違和感を持っていたことのほうが多かったんですよ。
授業中ただ座って、静かに先生の話を聞いているというのが苦痛でした。本を読んでいたり、机の下で友だちと将棋をして怒られたこともありました。
小・中学校時代は、何回も「ビリ」を経験しています。特に、小3から小5にかけて父親の転勤でアメリカ生活をしたのですが、それはもう大変な思いをしました。
なんとかそれを克服して帰ってきたら、今度はアメリカと日本の学校のギャップに適応できず、登校拒否になりました。
だから、日本の教育の問題点というか、ここがうまく機能していないなとか、こうすれば助かる子がいるなとか、こうすればやる気が出て伸びるとか、いろんなことが実感としてわかるのです。子どもの頃から成績優秀でエリートとして育った人は、こういうことに気づく機会がありませんから(笑)、当時は本当につらかったけど、今ではいい経験をしたと思っています。

―小3で飛び込んだアメリカの学校生活はいかがでしたか?

 

最初の頃のことは、つらかったせいか、あまり覚えていないんです。
最近はアメリカ転勤なんか当たり前ですが、何しろ45年前ものことですから、海外に引っ越すというだけで一大事でした。親も大変だったんでしょうね、事前に子どもたちに英語を勉強させる余裕なんかなかったようです。いきなり現地の公立小学校に放り込まれました。
ことばがわからないから、ひたすら聞き流すだけ。ABCも知らないので、黒板の字なんて単なる画像ですよ。自分ではちゃんと板書を書き写したつもりでも、帰って父に見せたら「homework」しhか読めない。宿題はあるらしいけどその内容がわからないという、最悪のパターン(笑)。
そのうちにアルファベットもわかってきて、耳から入る音と目から入る文字が一致するようになってきたんです。結局、半年くらいで会話には困らなくなりました。
それと、転校したのが小3のときだったので、すでに九九は覚えていたんです。掛け算の問題でパッと一番に答えを言うと「こいつは天才か!?」と。みんなの見る目が変わりました。
これは、つらい生活の中で本当に救いになりましたね。「自分は算数が得意なんだ」という自信につながり、理数系に親近感を持つようになって、その後、科学に親しんでいく要因になりました。

―アメリカから帰国したのは、小5の途中ですね。

 

英語がわかるようになってからのアメリカ生活はとても充実していたので、日本の勉強なんか見向きもしませんでした。当然ながら、帰ってきたら学年相応の漢字は書けないし、授業でやっていることもわからない。
アメリカは多民族の国です。僕は「中の下」くらいの住宅地にある公立小に通っていたので、人種差別も目の当たりにしたし、仲間には厳しい生活をしている子もいました。すると、子ども心にも世の中の理不尽さとか社会の不合理とかを考えるようになるし、主張もするようになります。自分の頭でじっくり考えて答えを出したり、自分の意見をハッキリ言うというスタイルが身に付いていたんでしょうね。
日本の学校では「みんなで同じことをしましょう」と言われ、一方的に教わるだけの授業がほとんど。自分のペースで勉強を進めることも認められない。アメリカで自由を満喫していた僕から見ると、合理的とは思えない細かいルールがあったりして、すごく厳しく、堅苦しく感じられたんです。
あっという間に登校拒否になりました。毎朝、熱出ないかなと願っていました。当時使っていた水銀式の体温計を逆にふって、熱が出ているように偽装したこともありました(笑)。
学校に行かない、勉強も面白くない、したがってやる気も出ない。というわけで、また「ビリ」になりました。

―2回目の「ビリ」体験ですね。

 

ただ、僕は運がよかったんです。
たまたま担任が、戦争前は東北大学で生物の研究をしていたという先生だった。研究者っぽい言動で、教員のなかでは、かなり浮いていたみたいですけどね(笑)。この先生が、当時住んでいた杉並区の科学教室というのを主宰していて、本来なら学校から推薦された「できる子」しか行けないところに、僕を特例で入れてくれたんです。
もともと、アメリカ時代の経験で「自分は理数系に強い」と思い込んでいますから(笑)、ここでやることは面白い。実験も楽しい。学校に行けない僕にとってはこの教室はまたとない居場所となり、学びへのモチベーションが徐々に生まれてきました。
中学に進学すると、英語の授業が始まりました。当時の授業ではテープレコーダーで発音を勉強していましたが、僕のクラスは「竹内くん、読んで」と。テープレコーダーより便利ですから。「先生よりも英語ができる」と周囲からは一目おかれるし、これは僕の武器なんだと気付いた。
「どうせ勉強なんかしたって駄目だ」と思っていたのが、人よりも得意なものがあると自覚すると、「頑張ってみようかな」という気持ちになり、やがてほかの科目も勉強するようになりました。
子どもは、やる気を出すと強いです。1年くらいで追いついちゃいました。
自信と、学びへのモチベーション。それがあれば頑張れるんだということを、この「2回のビリ」の経験から実感しました。

―その後は高校、大学と順調に進学を……?

 

勉強はするようになりましたが、その後も順風満帆とは程遠い人生でした。
東京大学ではいったん法律の勉強をはじめましたが、判例集を読んでも納得できないことが多くて「オレにはこんな判決出せないぞ」と方向転換。教養学部で科学史・科学哲学を学んで卒業してから、やっぱり科学をやろうと物理学科に学士入学しました。
卒業後はカナダのマギル大学大学院へ。ここでも複数の分野に首をつっこみ、途中で教授とケンカして専攻を変えたりとかいろんなことがありまして(笑)、 大学院を出たときにすでに32歳になっていました。
その後帰国したものの、なにしろ人の命令通りに動くのが苦手な性格で、日本の「徒弟制度」のような大学の研究室に入る気にはなれない。結局、個人事業主の作家の道を選びました。
あちこち回り道はしましたが、そのおかげで文系理系にまたがって、いろんな分野の学問を経験できた。今、物事を見るときに複数の視点を持つことができるのには、この時代の経験が役に立っています。情報を分析して様々な立場の人にそれを伝えるという作家の仕事にとっては、とても重要なスキルです。
ところで、日本では、大学受験に備えて早くから文系理系を選択しますよね。しかし、欧米では、自分の専門は何々ですとは言いますが、「私は文系です」とか言いません。そもそも、文系理系とワーワー騒ぐのは日本くらい。明治時代に便宜上作られた区分が生きているだけなんです。
文系の代表選手のような経済学では分析に統計や数式を使うし、理系最先端の人工知能の開発には「使いやすさ」「わかりやすさ」などを追及する文系的な手法が使われています。現実の学問は文系・理系で単純に分けられるものではなく、文理融合の分野もたくさんあります。
僕は、文理融合こそがこれからの世界を救うと思っていますので、そういうセンスのある人間を育てて行きたいのです。

新しい学校を新しいシステムで

―YES International Schoolでは、「トライリンガル教育」を掲げていますね。

 

英語、日本語、プログラミング言語の3つは、これからの時代には必要不可欠なスキルだからです。
英語は、グローバルなコミュニケーションツールです。できないと話になりません。でも、学校であんなに時間をかけて習うのに、うまく使えない、喋れない人ばかり。だから、徹底的に「使える英語」を目指します。授業も、基本的に英語でやります。
プログラミング言語も、現代には必須。というより、プログラミングが特殊技能ではなくなります。
CG、音楽、ロボット、人工知能……もはやコンピューターのない生活はありえません。でも、これらの機械がなぜ動くか理解していますか? プログラミングのしくみを深いレベルで知っていると、「なんだかわからないけど動く」ではなく、その動きをさらに改良することができますよね。だから、コンピューターと人間の共通言語を身に付ける必要があるんです。それを幼児期から自然に学べるカリキュラムを用意しています。
最後に、これらすべての基本となるのが日本語です。なぜなら、僕たちは母語の日本語で考えているからです。
ノーベル賞受賞者が日本から多く輩出しているのは、日本が母語で高等教育を受けられ、高次の思考ができるからだと僕は考えています。日本は英語ばかりありがたがる風潮がありますが、英語教育に熱中するあまり、日本語がおろそかになってはいけない。
日本の小学校ですから、母語である日本語をしっかりやって、高度な思考回路を育てます。

―公立や私立ではなく、「株式会社立」という聞き慣れない形態の学校なのですね。

 

学校法人として私立の小学校を設立するには、何十億というお金がかかるそうで、個人ではとても無理です。そこでいろいろ調べて、いわゆる教育特区の制度を利用することにしました。
文部科学省も注目してくれています。そうそう、大学時代の同級生が役所で偉くなっていて、「頑張れよ」と言ってくれることもありますね(笑)。
一般的な学校の成り立ちと異なるので、既存の学校では取り組みにくい企業と共同のプロジェクトや、出版などの事業を行うこともできます。その特性を活かして、いろんなことに取り組もうと考えています。
今、教育のカリキュラムを詰めていますが、専門家を国内外から招いていますので、画期的なものができつつありますよ。
特に日本語は、少ない時間数で日本の小学校と同等以上の母語教育をやろうと思っていますから、外国人に日本語を教えるメソッドなども大胆に取り入れています。その授業ノウハウは、世界中で活用できるのではないでしょうか。
プログラミングや理科実験の授業ノウハウをパッケージ化することも考えています。プログラミングという新しい分野を適切に教えられる先生は、日本の教育現場にはまだ多くないでしょう。授業の支援ツールがあれば、日本中の学校でプログラミング授業が始まっても、専門の先生が育ってくるまでの間、それを活用できますよね。科学実験の苦手な先生向けの研修会などもやりたいですね。
YES International School発の教育プログラムがフィードバックされて、日本の教育現場の底上げにつながっていってほしいと思っています。
サテライトの授業も検討中です。インターネットで世界中とやりとりできますから、教室以外の場所でも学べます。身体的な事情などで外出が難しい子、海外在住中で近くに学校がない子などに教育の場と機会を提供できるんじゃないかと考えています。
また、現代の教育現場では、既存の教育システムでは学びにくい子が増えていますが、人員不足もあって対応がなかなか進んでいません。一斉授業に馴染めない、僕のように違う国のやり方で学んできて日本の教室がつらい、あるいは、学習障害などの理由で特定の器具やサポートを必要とする子などがいます。
そのなかには、適切なサポートさえあれば、独創的な才能を発揮するケースもあるのです。そういう子どもたちの可能性をつぶさないで伸ばしていけるような、いい道を探っていきたいと思っています。

―何もかも、新しい発想の学校なのですね。それゆえの苦労がありそうですが……。

 

学校を一緒につくっていくスタッフは、今も募集中です。応募はたくさんあるのですが、この学校に何が必要かを考えて、それにふさわしい人だけに厳選して来てもらっています。教員経験者に限らず、様々な分野から、もちろん国内外から採用しています。
学校は一朝一夕にできるものではありません。初年度は1年生だけ、次の年は1年生と2年生。小学校全学年がそろうのには6年かかります。いずれは中学・高校もつくり、世界中の大学に進学できるようにするつもりですので、12年という長い道のりです。正直なところ、経営的には安定するまでは大変だろうと覚悟しています。
それでもやらなきゃ、と思っています。10年後、20年後の世界が必要とする人間を育てたいんです。
教育で世界を変えたいと、本気で考えています。